『自分解放』いきいきライフ☆

人間関係、仕事、恋愛・・・色々と悩むことが多い世の中。そんな悩みを払拭する。楽しい生き方の提唱ブログです(^^)

母親と話して

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無償から有償へ、物事を善悪、損得で考えるようになってしまったのはいつからだろう。


母親に寂しい思いをさせていると気付かされた。
今日、実家で母親と話していて泣いてしまった。

いつも会うと一方的に話されて、他の人の文句や、否定ばかりで話半分で聞いていた。

いつものように「家を売る」という話をしてきたので、「お母さんがいなくなると寂しいよ。」と言ったらむせ泣きながら色々話してきた。

お父さんにも兄貴にも俺にも邪魔者扱いされて、連絡もくれない。
こっちが連絡すると邪険に扱われる。
一生懸命に育てたけど。こんなものなのかな。

周りの人は亡くなってみんないなくなっていく。

また泣きながら、自分の過去の話、俺の子供の頃の話をしていた。

母親が小学1年の時、継母に厳しく怒られて、父親と結婚してこれで大丈夫と安心したら、父親に暴力を振られ、離婚して子供が大きくなったら、今度は子供に邪険に扱われ。

俺が子供の頃、母親が日課のご供養をしていたとき、よく経典を奪われてご供養ができなかった。ある日は近くの線路まで持って行ってしまい知らない人に家まで連れて来てもらった。

俺が3~4歳の時、美好町公園で遊んでいたとき、母親がトイレに行っている隙に、見知らぬ人が俺を連れ去ろうとしてい。間一髪引き止め、その人は「自分の子供と遊ばせようとしていた。」と言っていたが、そのまま連れて行かれてたら今頃どうなっていただろうか。

小学生の時、家の近くの交差点で、俺がバイクに轢かれそうになり(実際には轢かれた)、家で我慢して足を震わせながら椅子に座っていたこと。

昨日のことのように思い出す。


毎日ご供養の時、安全で過ごせるように俺とか子供の名前を読み上げている。

誰かが言っていた。子供が、家族が幸せに暮らしていることが一番の幸せだと。そう考えれば今は幸せ。

寝たきりになってしまった知人、老人ホームに入っていて、自分が会いに行くと泣いて喜ぶ知人。

97歳で一人で暮らしてて、俺の母親がいてくれるから自分も生きられる、という知人。

不動産屋が見積もりに来た際、その人に「80歳でしょ?」、「老人ホームに行った方がいいですよ。」と言われたこと。

三人兄弟のうち、兄貴に二人は職人さんが沢山いた関係であまり面倒見られなかった。
離婚して二人きりなった、俺が一番手をかけられた。

毎日が楽しかった。

と言っていた。

ずっと一人きりにさせて、周りの知り合いも沢山亡くなっていき、邪険に扱われ家族には連絡できず、会えず、寂しい思いをさせてきたんだな。


いつもお節介にしか思っていなかった、母親の自分への行動、贈り物は、考えてみれば、息子への愛情、無償の愛だった。

善悪で考えるから、それをお節介と受け取ってしまい、損得で考えるから、母親との繋がりを邪険に扱ってしまう。

いつから、無償から有償へ、物事を善悪、損得で考え、それに縛られるようになってしまったのだろうか。

また、もし最初からそうなのであれば、いつになれば、有償から無償へ、物事を善悪、損得で考える思考のしがらみから解き放たれるのだろうか。

今のままだと、本当に大切なものを失って気づくだけの日々になる気がする。そして何も変わらず。

ちゃんと家に帰ろう。
寂しい思いさせたらダメだね。
やっぱり母親がいなくなると寂しいし。
最低でも週1は帰れるようにしよう。

今だに母親は今の会社に勤めていることが反対らしい。

今までそれも嫌悪だった。何でもかんでも否定してくるから。

それも愛情によるものなんだよね。


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