常識にnoを
今日ふと、思ったことがあり、ブログに書いたので記載します。
暗い内容かもしれまんせん。
場にそぐわないようであれば申し訳ございません。
「常識にNoを言える勇気を持つ」
目が腐ってきたように思えます。
今日の会議の冒頭、上司が資料を読みあげている最中、矛盾点がありました。
「前回の会議決定事項『会長指針を全スタッフに浸透させる。』それに対しての行動内容は『月2回の店舗MTGを行い接客等の問題点の改善を図った』。」
細かい点は割愛しますが、前回こうしよう、と決めたことに対する行動内容が全く矛盾したものになっていました。
例えは変かもしれませんが、「1+1の解答は?」という問いに対して「1×1=1」のようにピントのずれた回答をしていました。
それに対して社長から「問題点とそれに対する行動が、矛盾しています。」という指摘があり、訂正しました。
問題は、自分もその文面を見た時に、その矛盾の気づきながらも、3秒後には目を伏せていたことです。
「ん、これおかしくね?」
と思いつつも、3秒後には「まぁ、俺が言うことでもないし、発言して非難されるのも嫌だからこのまま黙っていよう。」
と考えていました。
かなり危険な思考のように思えました。
店長になりたてのころ、初めてくらいに参加した会議で全責任者が先月の振り返りをしていました。
その中で「先月は雨の為、苦戦しました。」という発言が頻発していました。
そこに疑問を感じた私は
「雨が降るのは確かに不調の一因だと思います。しかし、大事なのは雨が降ったから苦戦した、という「理由」ではなくて、雨が降った時にどういう「対策」を取るかではないでしょうか。例えば、雨の日キャンペーンをやるとかで。」
みたいなことを言ってました。
今、考えれば「店長なりたてのくせに、何生意気言ってんだ。」とか「何も知らないくせに」
と思われてたと思います。自分でもそう思います(笑)
しかし特別な立場上からか、その意見が採用され「次月までに雨の日対策を考えましょう!」という運びになりました。
その時が善で、今が悪とかそういう目線で考えているわけではありませんが、なんだか大きく自分が変わってきているのがわかります。
例えば今同じ「雨の日」の話が出てきたとしても自分は黙ったままだと思います。
理由は「自店が結果を出していないから」です。
あるいは、そういう発言をして「お前の店はどうなんだ」とか批判されるのが怖いだけなのかもしれません。
いずれにしても、自分は、1年前と大きく変わってしまったように思えます。
過去の結果に自分自身を縛って、それを言い訳にして、否定されるのを避けているように思えます。
このままではいけないような気はするけど、余計なことはしない方が、痛い目見ずに済む。
そんな安楽の中に逃げ込んでしまっている毎日のように思えます。
以前も同じようなことに悩んでて、知り合いの社長に話したところ、「結果が出るまでは我慢するしかないんじゃないかな。」
と言われました。
確かにその通りだと思います。しかし疑問を感じたことを、そのまま見過ごすことが本当に正しいのでしょうか。
正直、自分の考えに嘘をついているようで、なんだか歯がゆい気持ちです。
しかし、そういう風に気付けたのも自分を変える良いきっかけなのだと思います。
改めて、俯瞰して自分を見つめ直してみようと思います。
ということをブログに書かせていただきました。
ふと、考えてみると、ここに、こういったことを投稿することも同じことであるように思えます。
自身のページだけで投稿する分には、リアルな知り合いだけにしか知られないからいいけど、このコミュニティで投稿することはお会いしたことのない方々に見ていただけることになります。「非難されたらどうしよう」なんて色々悪い方向に考えたりもしてしまいました(失礼ですみません)。
ブログ本文と同じような理由で投稿することを踏みとどまっていました。
「結果が出るまで我慢。」というのも一理ですが、やっぱり常識に縛られて行動できない自分を変えたいと思い投稿させていただきました。
常識がどうであっても、過去がどうであっても、人に非難されても、「常識にNo」を言える勇気を持つ自分になりたいと思います。
もちろん、やたらむやみに発言して人を傷つけるような真似だけは気を付けます。
自分勝手な内容で申し訳ございません。
でも、本当の栄光は常識を越えた先にしかないんじゃないかとも思います。