相手の為に、という理想を追い求める
今の仕事で自分がお客様に与えられるものについて考える。
味。
空間。
空間っていうのは、言葉では説明しづらいものなのであえて割愛する。
味っていうのは、チェーン店なので、スタッフによる違いはそうそうない。
仮に、どんなに、味に気持ちを込めたとしても、正直そんなに影響しない。
少なくとも「うわぁ!この料理、すごく気持ちが籠ってておいしい!」とは多分ならない。
接客について考える。
接客においては、気持ちを込めれば、相手に何かを与えることができると思う。
「この人の接客、すごく気持ちが籠ってて感動した!」とさえなりうると思う。
自分は今の仕事において、この部分に注力していきたいと思う。
接客レベルを高めたい。
接客で相手に何かを与えられるようになりたい。
突き詰めて言えば、相手の為を思って、相手の為にできることを尽くしたい。
接客で与えられるものは一つではないと思う。
上記の、感動もそうだし、
「この人に接客すごくいいな!こういうやり方もあるのか!勉強になる!」
「この人の接客いいな!元気をもらった!」
という風に、知識や、元気を与えることができる。
味は人によって大差はないが、接客は、気持ちやスキル次第で大きく変わる。
そして接客で与えられるものは一つではない。
だから、自分はこの仕事で接客スキルを高めようと思う。
具体的には短い接客でも相手に何かを与えられるようになりたい。
それが理想。
そして、それによる自分のメリットをもとめるのであれば、理由を突き詰める。
この仕事において得るものはない、と思っていた。
みんなのモチベーションは、高くはないし(自分が原因だが)、上司は言っていることは支離滅裂だし、目先の利益ばかりでお客様の為にということを全然考えてない。
そう考えては今の環境に絶望していた。
でも、接客スキルを高め、接客で何かを与えられるようになれば、また、相手の為にと、思い尽くせるようになれば、そこまでの接客スキルを持てれば、仮にこの仕事やめたとしても、環境が変わったとしても、必ず、そのスキル、強い思いは次につながる。
それが、自分にとっての学びとなり、糧となる。
そのためには、「人間関係の断捨離」が必要だと思う。
自分から嫌われる行動をとるようにする、というわけではないが、上記の理想、相手に何かを与えるという理想を達成するのに、相手の顔色、機嫌をうかがっていては、その理想の境地にはたどりつけない。
今は、みんながシフトに入ってくれなくなるから、下手なことは言えないし、下手に回っている。
両方を得ることはできない。
下手にでてれば、みんなはそれなりにシフトに入ってくれるだろうが、本当の意味での信頼関係は築けない。
それに、それは自分が傷つかないため、嫌われない為の手段であり、相手の為にもならない。
シフトに入ってくれなくなることのなにが怖いのか?
自分が長時間労働になる?
もちろんそれもあると思う。
けど、本当にそれが一番だとは思えない。
一番はおそらく、「シフトがきついからいやだ。」と言われることだと思う。
そうしたら、ますますシフトに入ってくれなくなってしまう。
という悪循環を恐れているんだと思う。
両方は手に入らない。そうしていたら、信頼は得られないし、上記の理想にもたどりつけない。
もちろん、可能な限り、シフトを埋める努力をする必要はあるけど、必要以上に自分を諂う必要はないんじゃないか。
そうしていたら、みんなの顔色ばかり気になって、理想への努力に、道筋に集中できないのではないか。
どこかで割り切らなきゃ、理想は手に入らない。
「こっちだって、できうる限りの手は尽くしてこのシフトなんだ。それでも辛くていやだというなら、上がっていいよ。」
それくらい必要なのではないか。それで一人営業になったとして、必要最低限の提供で回すことはできる。
理想をとるか、安楽をとるか。
その上で、本当についてきてくれる人、一緒に理想を目指そうとする人だけついてくればいい。
そのくらいの覚悟と決意をもって、行動しないと、ずっとこのままみんなの顔色、機嫌をうかがったままの仕事、曳いてはそこまでの人生にしかならないような気がする。
理想そのものは仮でもいいと思っている。
変わってもいいから、一つの理想の元で進んでいくことが大事だと思う。
でも、何かを捨てることも厭わずに進む覚悟がないと、何も得られない。ましてや、相手に何かを与える、という理想は手に入らないんじゃないかな。
そういった意味での、「人間関係の断捨離」が必要だと思う。